1 はじめに
わが国の自然災害史上最大の被害をもたらした関東地震は、今からちょうど80年前の大正12年9月1日のお午頃(11時58分)に起こった。関東大震災である。平成7年1月17日の阪神・淡路大震災の記憶が新しい今日でも、日本においてこれほどよく名前の知れた地震はない。しかしながら今日語られている関東大震災やそれを引き起こした関東地震に関する事柄の多くは、震災直後の混乱の中、当時の学問水準のもとで結論づけられたことのほんの一部で、十分な検証のもとに全容が伝えられている訳ではない。
例えば、関東地震の震源の規模を示すマグニチュード(M)は7.9と言われるが、この根拠ははっきりしない。死者・行方不明者14万人を出したとよく書かれているが、確かめるのは難しい。東京・横浜での火災の被害が非常に大きかったために、揺れそのものによる被害は大したことがなかったかのように言われることがあるが、本当だろうか。そのような傾向は、阪神・淡路大震災の後に強くなったようだ。
日本の歴史上、最大の被害を出し、しかも近代地震学発祥以後、今からたかだか100年足らず前の地震である関東地震を、今一度検証すべきではないか。私が関東地震について調査を始めたのが約10年前。今日までの調査によって分かってきたことは文献1)にまとめてある。ここでは、そのうちの一部をまず紹介する。さらに、関連して、わが国の地震防災の根底にある問題に関し私見を述べたい。
2 東京市における被害の教訓
関東地震が発生したお午頃、東京では台風の余波で風が強く、そのことが地震後、大きな火災に繋がる要因の一つになった。当時の東京は東京市と呼ばれ15の区よりなり、ほぼ現在の山手線の内側と東側の隅田川の周辺がその地域にあたっていた。前者が山の手、後者が下町と呼ばれる地域である。下町の地域は大火災でほとんど焼けてしまったが、焼ける前に当時の警視庁が各警察署に命じ、命がけで行った調査によって、揺れによる建物の被害状況を知ることができる。
(1) 震度分布と古地形
主に木造住家の全潰率から当時の町丁目ごとに揺れの強さを示す震度を推定すると図1のようになる。図1は震度分布に現在の区境界と山手線などの鉄道を入れたものである。
図1 東京都23区中心部での震度分布

大雑把に見ると、台地上で地盤が比較的硬い山の手は、震度が低く震度5以下のところが多いが、沖積層が堆積する下町は震度が高く、特に隅田川の東側の江東区や墨田区ではほとんどが震度6弱以上で、震度6強から7の地域も多い。これに対して、同じ下町でも隅田川の西側の台東区南部から中央区では震度が比較的低い。また、山の手でも日比谷から大手町、神田神保町、水道橋へと皇居の回りを帯状に震度の高い地域が囲んでいる。
このような被害の分布を、関東地震からさらに約70年前に発生し、直下型地震と言われている安政江戸地震の被害の分布と比べると、両者は驚くほどよく一致している。
安政江戸地震による江戸の被害を記述した「安政見聞誌」の絵図によれば、現在の台東区南部、浅草の浅草寺では、五重塔の九輪が曲がった程度で、本堂などの建物が潰れた形跡はない。これに対し北部の吉原では民家をはじめ遊郭が多く潰れた絵図が残っている。また隅田川の東、現在の墨田区本所付近には多くの民家が全潰している様子が描かれている。これに対し、西側の京橋付近では、耐力が弱い土蔵に被害はあるが、木造の町屋にはほとんど被害が認められない。
図2は太田道灌が江戸城を築いた1460年頃の江戸の地形である1)。第一に気づくことは、皇居の東側では、丸の内付近にまで日比谷入江と呼ばれる海が入り込んでいたこと、第二は神田川(当時は神田川と呼ばれていない)の流路が大きく異なっていたことである。
神田川は、現在東京をほぼ東西に流れ、早稲田、水道橋を通り、お茶の水付近で本郷台と駿河台を分け、両国付近から隅田川に流れ込んでいる。ところが江戸時代以前は平川と呼ばれ、本郷台を突っ切ることなく水道橋付近で流れを南に変え江戸城の東側から日比谷入江にそそいでいた。日比谷入江から、現在の日本橋川の流路にあたる東京湾への流路変更に関しては太田道灌の頃との説もあるが定かではない。図2はすでにこの付け替えが終わった状況である。
日比谷入江が埋め立てられたのは、慶長12年(1607年)頃。お茶の水付近で本郷台地を掘り割り現在の放水路をつくって神田川を隅田川に直結するようにしたのは、元和6年(1620年)頃で、いずれも将軍秀忠の時である。
山の手地域の中で震度が高い、日比谷、大手町、神田神保町さらには水道橋へと続く帯は、まさに日比谷入江から平川の流路に一致する。さらにその中で特に震度が高い神田神保町から水道橋付近には、大池という大きな沼地が存在し、今でもこの付近には三崎(みさき)町という地名が残っている。
このように、池や沼のあった地域には、腐植土が堆積し、薄くても非常に軟弱で、震度が大きくなる傾向がある。同様の沼地や池は、溜池から赤坂見附、さらには古川に沿った東麻布の一の橋付近にもあり、いずれも震度が高い地域とぴったりと一致する。
一方、下町で震度が比較的低い中央区の日本橋、京橋、銀座にかけては、図2を見ると、半島状に砂州が延びていたところで、沖積層が薄く、地表近くまで山の手の台地と同じ固い地盤が存在していることも分かっている。
都市部では近年も急速な地形の人口改変が進んでいる。人口改変によって隠れてしまった古地形も地盤構造にはしっかり刻み込まれ、我々に気づかれずに生き続けている。それが地震の際に顕在化し、思わぬ被害を与えることがある。関東地震の際の東京での震度分布は、地盤によって被害の明暗が分かれることを如実に物語っている。
−−続きは本誌をご覧ください。
来たる大地震に備え、消防・防災関係者の方のみならず、一般の方も必見です!
|