団塊世代の調査・研究・分析に取り組み始めて10年以上が経った。会社を設立した2000年当時は、周りに仕事の内容をほとんど理解してもらえなかった。「介護か福祉関係の仕事?」とか「せっかく起業するならもっと他の仕事があるだろうに」などと言われたものだ。
それでも続けてきたのは、日本の中で最も人口が多く、社会的な影響を与え続けてきた人たちが、これから何を考え、どう行動し、どのように歳を重ねていくのかを見ていたいという思いがあったからだ。もしかして、この世代によって、今までの日本にはなかった何かがまた始まるかもしれない。それは後世にバトンタッチできる何かかもしれない。そんな役割を果たせる世代であってほしい。これは団塊世代とほぼ同年代の私自身の願望でもある。
そうこうしているうちに、団塊世代の定年退職が近くなり、2007年問題などと社会的にクローズアップされるようになった。資産や退職金をあてにしたマーケットが活性化し、行政は地域回帰に伴う本格的な対策に取り組み始めた。
ただ、その注目のされ方には違和感があった。本当に巷で言われているような人たちなのだろうか。マーケットは都合のいい表層部分だけをみて期待しているのではないか。行政は高齢化ということで、必要以上にマイナス要素と見ていないか。
しかし、いろいろと言われている割には、団塊世代の多くは肝心なところで自らを語らず主張しない。まるで他人事のようだ。だから、誰かが正しい姿を伝える必要がある。また、団塊世代にも会社や仕事に依存せず、もっと自由で広い視野に立った豊かなセカンドステージを考えてほしい。これが私の仕事のメインテーマだ。
団塊世代が全員60歳を超えた今、マーケットの関心は衰えているように見える。しかし、本文にも書いたように、行政・自治体は今後も団塊世代への取り組みから逃げることはできない。高齢化がさらに進むことで、むしろより重要なテーマになっていくだろう。
ところで、団塊サラリーマンの多くは60歳で定年退職と共に現役を退いたが、まだ65歳からの高齢者には達していない。定年が65歳以上であれば、退職後すぐに年金をもらえるシニアだとあきらめもつくのだが、心理的にも経済的にも、なんとなく中途半端な状況に置かれている。そして、多くの人たちが定年退職は理不尽だと思っている。まだ若いつもりの心と体を持て余しているのが現状だ。このエネルギー・意欲・経験・知恵を日本は無駄にしている。もったいない話だ。
一方、地域では行政・自治体の手の回らない分野が増えて四苦八苦している。であれば、力と知恵を持て余している人たちの活躍の場は地域にあるのではないか。昔から、「立っている者は親でも使え」という。「活用する」という言葉を使うことを敬遠などせずに、リタイア世代をどんどん使ってほしい。彼らもそれを望んでいるのではないだろうか。
しかし、リタイア世代を活用する方法を確立している行政・自治体はほとんどない。最初から最後までお世話しなければならない対象であり、それには補助金や報酬に高額な予算が必要だと考えてしまう。その考えはお年寄り扱いであり、“やってあげる”目線である。それではリタイア世代も甘えてしまう。
団塊世代の場合はまだ若く、会社での実務経験も忘れてはいない。そうした人たちと共に地域の問題について考え、活動し、解決していく場を作ってはどうか。自らの問題と理解した人たちは率先して動くだろう。それをサポートすればいい。そして、自治体は彼らを動かせる人材を育成してほしい。
時代は今、「年金兼業生活」に入った。この長寿の時代、60歳くらいで隠居なんかしていられない。コミュニティビジネスなどで、小遣い程度でもいいから収入を得ることができれば、個人も地域もハッピーなはずだ。
団塊世代にはこの本のタイトルのように「再び輝く団塊世代」であってほしい。そして、その生き方がリタイア世代のよき慣行として次の世代に引き継がれてほしいと思っている。