この本はとても面白く読みごたえのある本です。
法律の本というと、難しそうでとっつきにくいと思いがちですが、何よりも著者の多彩な人生経験とゆたかな学識教養に裏打ちされて、法律の問題を素人にもわかり易く説明し、今後のあるべき方向をさし示しております。月刊「捜査研究」に毎月書かれた随筆をまとめられたものだからでしょうか、著者も肩の力がぬけているようで、一つ一つの文章の長さもころあいで、文体も読み易く、すんなり読み進めます。
この数年世間の耳目を集めた、誰でも覚えている幾つかの重大事件を材料にして、新聞記事だけを読んだ一般市民が「何故なのかな?」と、ちょっと疑問に思った点を法律面から平易に説きあかし、「あっ、そうか」と納得させます。そして法律に興味をもたせ、若い人々に自分も勉強してみようかなと思わせる不思議な魅力をもった本です。末尾の青少年犯罪や安楽死の問題などは、今日の社会にとって大変示唆にとんでいますし、オリンピック審判のミスジャッジに触れた「あとがき」に至るまで、考えさせられる内容です。
現実の事件と向き合う検事として30年、同時に刑事法の学者としても特筆すべき実績をあげられ、近年はあちこちの大学で若い人々に接し、教育指導に当たっておられる著者であればこそとうなずけます。
専門家として勉強しようという方はもちろん、少しでも興味のある方は、男女を問わず、職業や年代にも関係なく、近代社会の市民の教養として、ぜひ本書をひもどいてみられることをおすすめします。間違いなく満足されることでしょう。
「混沌とした時代に明確なメスを。――豊かな実務経験と精緻な理論構成に裏打ちされた問題意識により、実務の指針に寄与されている土本教授による時事評論の始まりです。」
1999年4月、月刊誌『捜査研究』の新連載として書き起こした「インクのしずく」の第1号の、これは編集部員による前文である。以来、毎月書き続けて8年余、1回につき複数のテーマを取り扱ったこともあるので、テーマ数としては100を超えることになった。そのうちの35のテーマを選んで1冊に編んだのが本書である。
他の世界を知らないまま、30年近くを検事生活一筋に生きてきたわたしは、骨の髄まで検事になってしまっており、学者に転じてすでに20年に及ぶのに、わたしの内奥で脈打っているのはなお、検事魂である。〔中略〕
ただ、検事在官中は、学者が得意とする論理の一貫性・精緻性よりも法律実務に役立つ具体的妥当性を重視することに力点をおいたものの、研究の対象は刑事に関する法律問題に限られていたし、執筆の手法は学問的なそれによっていた。
しかし、「インクのしずく」を書き始めたときは、すでに最高検検事を退官し、学界に転身していたこともあったので、執筆の対象範囲は、刑事司法を中心におくことは変わらないにしても、それに限らず、社会現象全般を視野に入れたし、執筆のタッチは随筆風の軽快なものにした。その結果、本書は広く社会現象を対象にした。“時事評論”の実質をもつものとなった。
2007年7月
土本武司