警察学校に二度勤務したことがある。若い時代に教官として、五十代に学校長として、である。そのささやかな経験からいうのだが、教える者は、知識の切り売りをすればそれでいいというものではない。
かつての教え子たちと酒を酌み交わす機会があった。そこで彼等の雑談から知り得たことだが、私の授業でタメになったこと、いまだに記憶にあることといえば他愛もない雑談ばかりで、例えば、種々の失敗談とか、酒の飲み方、競輪・競馬の話、株式の話、女性に関するヒヤリ・ハット事案、警察に材をとった小説の紹介、扱った痴話げんかの話……等々というのだった。教える教官が教官なら、その学生もそれだけのものにしかなり得ない恥ずべき実例というほかはない。何のことはない、ラチもない週刊誌ネタだが、これらは教科書にない話ばかりである。
――品位にもとる話になったが、要するに教えるということは、知識はもちろんだけれども、それと同じくらいに、ひょっとするとそれ以上に、知識の範疇外になる、いわば“大人の智恵”とでもいうべきものを伝えることではないか、とこのごろ思う。これは、警察学校が単に法学や警察学を教授するだけではない特殊性に由来している部分もあるであろう。
牽強付会のそしりを承知で言ってしまえば、ほんとうに大切なことは教科書には書いてないのである。眼光紙背に徹す、という言い方があるように、教科書の活字の裏側、周囲、延長線上等にあるのだ。
このエッセイは、そこを狙って書いた。対象は、連載した『月刊警察VALIANT』(現在は『月刊警察』東京法令出版)の読者――つまり、中級幹部以下の若い警察官であるから、息子に雑談するつもりで書いたのである。
賢しげな先輩の説教ほど、この世で面白くないものはない。それを知っているだけに、コーヒーブレイクに一息入れる、そんな気分で読めるように書いたつもりである。しかし、“親父の説教”であるから、キビシイこともあえて書いてある。
本にまとめるに当たっては、共通のテーマごとに六章に整理しなおし、新たに書き下ろしたものもある。連載中、時宜にかなった内容に心掛けたことから、その後の情勢の変化や引用した統計等が古くなっているのは避けがたかったが、最小限の字句の訂正以外は発表した原文のままにしてある。それらを補うために、「後日付記」で内容を補正しておいた。
将来ある警察官に、“大人の智恵・大人の認識”を吸収する一助になれば、こんな嬉しいことはない。
警察官以外の読者には、間接的ではあるが警察の最前線の現況や警察が抱える問題を垣間見ることができるかもしれない。
平成20年5月
高橋 昌規