
警察官、法曹関係者に向けて、検死に必要な知識を分かりやすく解説した唯一の書。
法医学の第一人者である著者が、長年にわたる研究と経験をもとに、死後変化に関する論点を系統的かつ具体的に解説。
「みる」という漢字を並べてみると、見、検、観、診、看、視、といろいろなものがある。
ふつう、ものをみるという時は見の字を使っている。これは、ただ漠然とものをみているので、あまり頭は使っていない。目は、いわばありのままの姿を写真機のレンズが写しているようなものだ。
話は変って、仕事で死体をみる場合、ただ見ていればよいのだろうか。誰だって、「そんなずぼらなことを」と怒って当然だろう。もっと熱心に考えながら死体をみてくれと、死体ですら思っているだろう。では、どうすればいいのだろう。それは、死体を「視」ればよいのである。視るということは、自分のその時もっている知識を全部活用し、頭で視ることである。本当は仏教でいう「觀」のレベルまで行って欲しいのだが、それは後の話としよう。
このような視かたをするためには、どうすればよいのだろう。そのためには、まず視る前にそれについての知識をインプットしておく必要がある。そのためにこそ、いささかでもお役に立ちたいと思って、この本を書いた次第である。
死体なんか気持ち悪くって、という人には、この本は全く無用である。しかし、誰だって必ず何時かは、死体となる定めである。もし、あなたが殺されたり、人に知られず病気で死んだ場合、なぜ私は死んだのか、どのような理由で死んだのか、少しは調べて欲しい、という気にならないだろうか。少しでもそんな気があるとすれば、そのためには、この本はお役に立てると思っている。
少しは、死体に興味をもって欲しい。特に、警察官や死体取扱の関係者には、科学的に興味をもって視て頂きたいものだ。
こんなことをいうと、不謹慎だとか、人間の尊厳を踏みにじるものだとか、怒る人がいるかも知れない。しかし、私は悪意をもって死体をみろといっているのではない。人の死は悲しいものである。まして、肉親ならばなおのこと、悲しく苦しいものである。しかし、その悲しみは死者の心の問題であり、死んでしまった肉体のことではない。
チベットのラマ教では、死者の魂が輪廻として、よりよい方へ生まれ変わろうと、死体を鳥に布施するそうだ。仏教の教えは、もともと人の心を大切にするものであり、死んだ肉体はただの死体とみるものである。死体は残された家族のよりどころではない筈である。
もちろん、だからといって死体を乱暴に取り扱え、などといっているのではない。丁重に、礼儀正しく取り扱うのは当然のことである。ここでいいたいのは、心の問題は問題として、死体を科学的に視るためには、視ることに興味をもたなければ何も始まらない、ということである。科学的に興味をもって視る、そして死因を追及することこそ、死者への供養になるのではないだろうか。
このような気持ちで、この本を書いた。だから、人はどうして死ぬかということに科学的な興味を持たれる人にも、かなり役に立つと思っている。逆にいえば、死に対して感情的にしかなれない人には、全く無価値な本といえよう。
死を冷静に科学的にみられる人、死体も科学的にみられる人よ、この本を読んでみて欲しい。
なお、巻末に医学的な名称に詳しくない読者のために、医学用語集をつけて置いた。お役に立てば幸いである。
著者



