3月11日の東日本大震災を、私は新地駅に停車中の電車の中で経験しました。当時、私は、同期と初任補修科の卒業式を終え、福島駅から常磐線岩沼経由で相馬駅まで、21駅分の乗車予定でした。相馬署管内の最初の駅である新地に入り、「相馬に戻ってきたな」という気持ちが高まったところでした。
 しかしその直後、高まる気持ちを打ち砕く巨大地震に襲われました。電車はちょうど新地駅に停車中であり、これからまさに走り出そうとした瞬間、車内に携帯電話の緊急地震速報が鳴り響きました。停車中の車両は左右に激しく揺れ、手すり等につかまっていないと踏ん張っていられないほどでした。徐々に揺れが大きくなり、窓ガラスの反対側に見える新地駅の駅舎は、まるで、こんにゃくのようにしなっており、更なる恐怖感をあおっていました。
 私たちが乗っていた車両には、乗客は10名ほどおり、外国人の女性の方が、終始甲高い悲鳴を上げていました。乗客同士で、「大丈夫だ。すぐに収まるから」と互いに声を掛け合い、ただ、激しい揺れに耐えていました。

 長い長い揺れがようやく収まった直後、私たちは二手に分かれ、車両内の被害状況や負傷者の有無を確認して歩きました。私たちは警察学校からの帰署途上であったため、私服のスーツ姿でした。乗客は、内心、興奮状態であったのかもしれませんが、取り乱す者もなく、わりと落ち着いていました。
 車両内に異状はなく、私はその旨を車掌らに告げました。それは、警察官として何をやるべきか、咄嗟に頭に浮かんだことでした。人員の確認、負傷者の救護等、警察学校で訓練を受け、学んできたことが無意識のうちに行動に出ていました。
 その後、携帯電話のワンセグテレビを見ていた乗客の一人が、「大津波警報が出た」と叫び、それを聞いて、私も今回の地震によって大津波警報が出されたことを知りました。私は、「このままでは津波に襲われてしまう」と判断し、乗客全員の命を確実に守るためには、ここから避難しなければならないと決断しました。
 当時、電車の乗客は新地駅で降りる予定ではない人たちがほとんどだったので、もし、津波が来なかったら大変な迷惑をかけることになるなど、正直、不安な気持ちの方が大きかったように思います。しかし、そのことよりも優先すべきことは、「警察官として人の命を守ることである」という使命感と私自身の信念が、私の体を突き動かしました。
 車掌らに、「私たちが責任をもって乗客全員を避難誘導させます。車内放送で避難する旨を流してください」と頼みました。車内放送を聞いた乗客は、速やかに電車からホームに降り、高架橋を渡って線路を越え、駅舎前の駐車場に移動しました。そのときの乗客の様子からは、正直なところ危機意識というものがほとんど感じられませんでした。地震の揺れには驚いたが、まさか津波までは来ないだろうという雰囲気がひしひしと伝わってきました。しかし、万一津波が来たら、警察官は現場で何をすべきなのか・・・・・・。警察学校で日々厳しい訓練を受けてきた私の頭の中は、意外にも冷静であり、躊躇することなく「乗客全員の避難誘導」を選択していました。
 避難が始まってからは、乗客が安全な行動をとれるように、「皆さん、バラバラにならないでくださーい! 女性やお年寄りの荷物を持てる人は手伝ってください」と、同期の巡査と声を掛けながら隊列を組んでいきました。道路には、近くの民家から崩落した瓦が散乱しており、それらを避けながら進みました。私は最後尾を足の不自由な老婆と一緒に歩いていましたが、徐々に前方の列と離れてしまいました。そのような中でも不安感を与えないように、私自身が冷静になることを意識しました。
 避難開始から15分ほど経過したとき、最後尾を非難している私たちに突如襲いかかってきたのは、ゴゴゴゴゴーッという地鳴りでした。すぐに振り返ってみると、混濁の大津波がまるで壁のようにこちらに向かってきました。それを見たとき、私は本当に死ぬかもしれないと覚悟をしました。それでも諦めず、偶然通りがかった軽トラックを呼び止め、乗せてもらいました。助手席に老婆を乗せ、他にも現場付近で足がすくんでいる住民も数人荷台に乗せ、猛スピードで避難しました。
 高台まで避難し、乗客全員の無事を確認した直後、私たちの眼下を津波が瓦礫や車を飲み込んで流れていきました。そのあまりの光景に、私の背筋をゾクッとするものが走りました。避難していた人たちからも、「怖い、怖い」と泣き叫ぶ声が聞こえてきました。今、自分たちがいる場所にまで津波が来るのではないかという恐怖が、その場に居合わせた人たちの脳裏に浮かんだことは間違いありません。
 混乱が生じないように、私たちは女性やお年寄りを先に、より高い場所に避難するように呼び掛けました。自分たちの居場所が安全だと確信できるまで、人々の恐怖は続きました。
 今回、このような大地震を経験し、私は制服警察官の意義を再確認するとともに、警察官としての自覚の重要性を深く実感しました。警察官の自覚とは、危機的状況、事件・事故の現場等で、地域住民の生命、身体及び財産の保護のために、実際どういう行動を起こすべきか常に考えることだと思います。また、制服を着ていなくても、警察官として何をやるべきか、それを直感で感じ取り、行動できる「警察魂」を、これからも磨いていきたいと思います。
 被災地で捜索活動をしていると、現地の住民からも、「警察の方がいてくれるから、本当に心強い」と声を掛けていただきます。そのような一言が、私たち警察官の活動の原動力になっています。
 地域住民の不安要素を少しでも解決していくことができるように、これからも、日々精進していきたいと思います。
(さいとう けい)

齋藤巡査の功労を全国の警友に伝えたいと考え、その思いをお伝えしたところ、お忙しい中、御執筆の快諾をいただき、齋藤巡査に体験記を御寄稿いただきました。
困難な状況にもくじけず、ただひたすら任務を全うする新人警察官の熱い心を感じ取っていただくことができれば幸いです。

※この齋藤巡査をはじめ、宮城県における震災発生9日後の人命救助事案、福島第1原子力発電所における放水事案の3件、17人に対し、安藤隆春長官から警察庁長官賞(長官賞詞)が贈られています。
(編集室)