はじめに この日本で今を生きている誰もが,かつて経験したことのない大災害が起きた。
 「3・11東日本大震災」の被害は,何もかもが,未曽有だ。地震,津波の天災に,人災ともいえる原発事故は,我が国としても,初めての経験だ。当然のことながら,被災地の復旧・復興に向けた支援活動も全国規模である。
 あの大地震から3か月がたつが,復旧・復興の見通しはまだ遠い。八千人を超す身元不明者の捜索や遺体の身元確認作業など,被災地で昼夜を問わず活動している警察官,警察職員の労苦は,現地を見ない私の想像をもはるかに超える厳しさであろう。
 いつ終息するか見当さえつかぬ,遺体検索,遺体の身元確認作業,交通規制,窃盗など犯罪防止活動等々に奮闘する警友にエールをという依頼が,編集者からあった。もちろん,その意図は,私の警察官時代の体験を重ねて, ということなのである。
 昭和60年8月12日。日本航空123便のジャンボ旅客機が,群馬県の西南端にある上野村の山中御巣鷹山の尾根に墜落,乗員乗客520人が,死亡した。
 この事故事件捜査で,当時高崎警察署刑事官であった私は,身元確認班長として,夏から冬にかけての128日間,遺体の身元確認作業に従事したのである。
 事故の規模,態様など比べるべくもないが, 日航機事故発生から26年がたとうとしている今でも,私の網膜に張り付いて剥がれない場景等を震災被災地に重ね合わせながら,思いつくままに記してみることにした。地獄絵図のような惨状 飛行機墜落現場の場景は,何とも,すさまじい。五体満足な死体は,ごくわずかだ。ほとんどは,離断(遺体)か,炭化(遺体)か,内臓が脱出しているか,などである。墜落現場で遺体の検索・収容に当たった警察官たちは,唐松林が焼けてくすぶる斜度30〜45度の山の急斜面で,立木にロープで身体を結わえて,幾晩も仮眠をとった。排泄は,山の一角に穴を掘って行った。幾日もくすぶり続ける黒こげの唐松の枝には,人間の長い髪の毛や焼けた衣服が絡まって,風に吹かれてなびいているという惨状の中で,である。
 墜落現場のある上野村から五十数キロ離れた藤岡市の市民体育館が,身元確認現場となった。暗幕に閉ざされた体育館の中は,換気扇も壊れ,室温は40度を超していた。
 1,700平方メートルの体育館は三つのパネルで仕切られ,検視場,遺体安置所,医師,看護師の待機所となった。検視,身元確認現場は,凄惨を極めた。ビニールシートの敷かれた22の検視フロア。一つの検視フロアで,警察官,医師,歯科医師,看護師の十人前後が一組になって,うごめいている。シートの上に横たわっているのは,様々な形態の遺体である。遺体を洗う。縫合する。写真を撮る。記録する。それぞれの分担作業が行われる。この世のものとは思われない異様な光景が展開されているのだ。
シャッター音とカメラの閃光が,一瞬,止まった。
「おい, どうした?」
検視官が見上げる。
脚立をまたいでいる若い警察官が,泣きべそをかいている。
「うちの子どもと同じくらいだなあ」
検視の警察官も,タオルで目頭を押さえた。
「なんで俺んとこにばっか,子どもなんだよおー」
他の検視フロアからも,絞り出すような大声がする。
 身元確認のフロアには,検視を終えた遺体が,真っ白いカバーを掛けた棺に安置されて,整然と並んでいる。棺の蓋の上には,収納番号,検視番号のほか,遺体の性別,死体の特徴,残存歯牙の記録,着衣,所持品,担当警察官の名を記した「特徴票」を貼付し,遺族の目で確認できるようにした。
 藤岡市民体育館は,愛する人を一瞬にして失ったという極度の悲しみと,大事な人を奪い去られたという激しい怒りで充満した。検視,身元確認作業を続ける警察官,医師,看護師ら,五百人を超す笑いなき集団が,床をはう。
 時折,遺族の発する絹を引き裂くような悲鳴。ほえるような号泣。「子どもを返せ!」, 「夫を返せ!」という怒声が,館内の喧噪をつんざいて走る。失神して医師の待機所に運び込まれる女性。悲しみで床をのたうち回る女性。怒りと悲しみで顔を引きつらせた老人が, 日航職員に棺の蓋を片端から開けさせていき,ある棺の中に職員の頭を突っ込み,「この姿を忘れるな!」と,泣きながら怒鳴っている。
 体育館の中は,阿鼻叫喚のるつぼと化していた。
 確認された遺体を遺族に引き渡す。遺体に取りすがって泣く遺族。愛する父親の遺体の前で,けなげにも「僕は泣きません」と必死に悲しみを堪えている高校生。「泣けよ」と言う警察官が,泣いている。
 こんな場面も,あちこちで見られたのであった。疲労 検視と身元確認作業は,連日,深夜から朝方まで続いた。宿泊施設などは,全くなかった。班員は県下各署からの寄せ集めだ。遠い署は,車で片道2時間もかかる。朝方帰って,シャワーを浴びて,1時間も寝れば,また出動時間だ。交替要員はいない。棺のそばに段ボール箱を敷いて寝る署員もいる。
 最初の約1週間,私も1〜2時間寝ては,伝令の迎えの車で公舎を出た。体育館に着くと,朝のうちは皆,元気に挨拶を交わすが,午後になると皆,無口になる。顔はどす黒く,血の気がない。
 (睡眠不足が一番まずい, どうにかしなければ……)と思っていた矢先,第一副班長のM警部が倒れた。幸い1日の休養で元気になって任務に就いてくれたが,他の班員も疲労困憊で,限界だ。どんなに鍛えられた身体でも,精神力だけでもつものではない。
 私自身5日間ほとんど睡眠をとっていなかった。その夜,身体に異変を感じた。身体がふわふわして,落ち着けない。話そうとしたら,ろれつがよく回らない。子どもたちや兄弟の名前も出てこない。私はシャワーも浴びずに臭い身体のまま,布団に潜り込んで寝た。3時間も寝たら,記憶は戻っていた。
 体育館の現場には医師が大勢いる。すぐに状況を話すと,「極度の睡眠不足による一時的な記憶喪失症だ」と言われた。
 疲労が重なると,人は,怒りっぽくなる。些細なことで,口論を始める。
 係長以上で打合せをしていたら,S警部補が突然,真向かいの同僚に向かって,「何がおかしいんだ」と怒りだした。「怒ってねえよ」。彼は,けげんな顔で言った。
 A署員とB署員が,床に敷く段ボール箱の取り合いで,「うちの署で持ってきた」,「いやうちの署だ」と言い争っている。私自身,検視班長と些細なことで,よく言い争った。医師同士でも,こんな光景はよく見られた。
 ある日,日赤の看護部長に呼ばれた。「○○班のC巡査に命令して休ませてください。熱が38度もあり,ふらふらしながら作業をしています。倒れますよ!」と,きつい声で言う。彼は,「僕が休んだら,確認が遅れます」と言う。私は,「命令だ! 休んでくれ」と言って休ませた。
 疲労が極限状態になると,様々な形で心身に変調をもたらす。怒りっぽくなる反面,やけに涙もろくもなる。集中力,判断力が鈍り,忘れっぽくなる。
 3日日,警察官になって2年目のKは,「こんな仕事が続くなら,僕は警察を辞める」と言い,看護婦長として出動している叔母の前で男泣きした,という。
 「もう駄目です。交替させてください」と署長に訴えた署員もいた。心がパニック状態になったのだ。
 4日目,大失態が起きた。棺の中に納められた遺品の婚約指輪が,紛失したのだ。担当の警察官が御遺族に見てもらった後で,棺を間違えて納めてしまったのである。この署員は遠距離署から出動しており,1日2,3時間しか寝ていなかったのだ。
 責任は,班長の私にあった。
 私は,4人の副班長に,「交替で休養を取るように」と指示した。部下の健康管理は,リーダーの大事な責務なのだ。休養を取らせることも,仕事なのである。もちろん,リーダーも休まなければ的確な判断と指示ができない。
 現場では難しいことだが,大切なことなのだ。
 被災地を,思う
 巨大地震発生から,3か月。あの日以来,被災地の凄惨極まるテレビ,ラジオ,新聞等の映像や報道に,込み上げる悲しみ,感動の情動を抑えられずに,涙する日々だ。さらに,原発事故や被災者に対する対応の遅れには,怒りの情動もしょっちゅう起こる。そのような中で,警察,自衛隊,消防等の奮闘には,心の底から感謝と敬意の感情が湧き上がるのである。
 被災地を管轄する警察官等は,被災者でもあるのだ。職に殉じた警察官も多数いると聞く。彼らの行為を,使命感とか職責とかいう言葉で表したくはない。それらを超越した,崇高な人間性によるものだと思う。
 行方不明者の捜索,遺体の身元確認作業,交通規制,犯罪防止等の治安活動は,いつ終息するかのめども立たない状態だ。心身の疲労も極度に達していると思われる。それでも,「どうか,身体には十分留意してください」としか,言いようがない。頼りがいのある,警察 日航機事故事件捜査終結後に行われた合同慰霊祭で,遺族の代表が挨拶の中で,「警察は本当によくやってくれました。感謝申し上げます」と述べた。途端に,感動が喉元を突き上げ,涙が止めどなく流れ落ちた。
 「やっと終わった」という感動であった。警察が信頼されていた,といううれしさが込み上げてきたのだ。警察に対する信頼は,組織そのものではなく,警察官個々にあると思った。
 日航機事故身元確認作業の後半は,悲しみと疲労の極限状態となっていた遺族の心のケアにも配慮して,マンツーマン態勢をとった。一人の遺体に一人か二人の班員を付けたのであった。班員たちは長い期間,遺族の悲しみの場に立ち会い,遺族に寄り添い支えてきたのだ。
 それは,職務を越えた,人間としての愛情にほかならない。
 ある若い警察官は,実家に遺族を案内し,母の打った手打ちうどんを,黙々と,3人で食べた。言葉は交わさなくても,優しい心は十分通じ合った。自然に,温かい絆が生まれる。そして,信頼関係も生ずる。
 これらの行為は,報告書などで上がってくる情報ではない。しかし,警察官に求められるのは,このような優しさであり,情である,と思うのである。
 被災地で奮闘する警察官,自衛官らの報道で知るニュースは,情であふれている。
 「国家の基盤は,治安にあり」だ。ただ,ただ,奮闘を祈りたい。(いいづか・さとし)